女の子たちの力が世界を変える

プラン・ジャパン 久保田 恭代(くぼた たかよ) 2015.6.7


女の子というだけで差別を受ける開発途上国の少女たち。男の兄弟が学校に行っている間、畑仕事や家事をさせられ、時には家計のために身を売ることを強いられる。貧困の影響を一番大きく受けるのが女の子たちなのです。 でも、彼女たちは決して人生を諦めていない。これだけ厳しい状況にありながら、おどろくほど元気で前向きでたくましい。


長年彼女たちを支援してきた国際NGOプラン・ジャパンの 「Because I am a Girl」 キャンペーン推進役、
広報担当シニアオフィサー久保田氏に少女たちの現実と、それを支援してきた久保田氏自身のこの活動への関わり方についてお聞きしました。

■ 久保田さんがプラン・ジャパンに転職されたのはいつ頃ですか?何年くらい活動されているのでしょう?

プラン・ジャパンに参加したのは、2002年の8月ですから、今年の8月で13年になります。


■ 電車の中で時折、広告を見かけますが、"Because I am a Girl " とは、どういう活動なのでしょうか?

"Because I am a Girl " を展開しているプラン・インターナショナルはイギリスに本部がある国際NGOで、
世界70ヶ国に事務所があり、開発途上国の子どもたちを支援している団体です。プラン・ジャパンは日本にある事務所です。


支援が必要な子どもたちの中でも特に状況が厳しいのが女の子なんですね。学校の就学率や栄養状態、いろいろなチャンス、遊ぶチャンスや勉強するチャンスだけでなく、自分の意見を自由に発信するチャンスも、男の子に比べて圧倒的に女の子は恵まれていません。それだけでなく、紛争が起きれば暴力の対象になり、日常的にも社会や家庭の中で虐待の対象になりがちという、とても厳しい現実に女の子たちは直面しています。


一方で女の子の就学率が上がると、子どもの死亡率が下がったり、国のGDPが上がる、といった様々なデータもあり、女の子にいろいろなチャンスを与えることで今ある貧困を解決していこうと、女の子への支援に焦点を当てた活動が ”Because I am a Girl"です。


■ 久保田さんが、日本で ”Because I am a Girl" キャンペーンを推進しようと思ったのはなぜでしょうか?


”Because I am a Girl"は、もともとはプラン・ドイツが始めた活動です。 正式にグローバルキャンペーンとなったのは2012年ですが、それ以前の2007年に本部のイギリスで採用されたのを知って、日本でも活動しようと2008年に上司を説得して活動をスタートしました。


それまでも人身売買など女の子の方が状況が厳しいのはわかっていましたが、女の子に投資すると貧困解決につながるということを聞き、非常に理に適っていると思いました。また、途上国支援の問題は誰も反対する人はいないのですが、実際の問題は難しくてわかりずらいものです。そういう中、女の子の問題は途上国の子どもたちの現状を知ってもらうのにわかりやすいテーマだと思ったのです。


■ 久保田さんの役割である、広報の具体的なお仕事を教えてください。


機関誌への記事の掲載やWebサイト、メルマガなどを通じて広く皆さんに女の子の状況を訴えています。
また、各種のイベントを企画してメディアの方にとりあげていただくような活動もしています。
後は講演活動ですね。大学や高校などの学校や一般のイベントなどに呼ばれて皆様の前でお話しさせていただいたりしています。


■ 広報として久保田さんが訴えていることのポイント、一番伝えたいことはなんでしょうか?
また、心掛けていることは何でしょう?


ポイントとして意識しているのは2つあります。ひとつは、彼女たちがおかれている厳しい状況を皆さんにお伝えするのですが、単に気の毒な犠牲者として彼女たちを紹介するのではなく、彼女たちが世界を変える力を持っていること。そのたくましさ、力強さを訴えることを意識するということです。


もうひとつは、支援を依頼する際にも、日本という先進国から、かわいそうな人たちを支援するという「上から目線」にしたくないと、いつも思っています。程度の差こそあれ、ジェンダー問題は日本も同じ。同じ問題を一緒に解決していきましょうと訴えています。


■ 日本で生活している私たちに、今、何ができると思いますか?


経済的に女性が力を持つことが世の中を変えると思います。女の人が社会に進出していくというしくみを作ることが大事です。社会で女の人が活躍している国が成功している様を見て、開発途上国がそれを政策としてロールモデルとする、そのことが、その国の女の子たちの未来につながっていきます。
残念ながら日本はジェンダーギャップ指数はまだまだ低い。 だから、私たちがもっともっとこの国の中でも活躍していくべきなのだと思っています。


■ ところで・・・

この活動に参加される前は何をしていらっしゃいましたか?どうして、辞められたのでしょう?
また、プラン・ジャパンに入ったきっかけは何だったのでしょうか?


大学を出てから最初は出版社に勤務していました。女性向け生活情報誌の編集の仕事でした。
とても忙しく、仕事以外の時間が持てなかったので、いったん立ち止まって自分が何をしたいのかを考えてみようと思ったのです。ちょっとゆっくりして、体力が回復した頃に次の仕事をどうしようかと考えたのですが、編集の仕事は思いっきりやったので、ちょっと違う仕事がしたいなと思っていました。


それまでが主に家庭内のテーマを扱っていたので、もっと世の中や大きな視野に立てる仕事がしたいなと(
海外にも興味がありましたから)そんなふうに考えていた時に、プラン・ジャパンの広報募集を目にして、広報の仕事ならできるかなと思ったのです。


■ もともと、昔から、こういうこと、人助けとか、恵まれない人達への援助とか・・・に関心があったのでしょうか?


途上国支援などの社会問題にも興味はあったのですが、正直言って、それまでは興味本位だったと思います。ただ海外旅行に行ってもストリートチルドレンなどに目が行ってしまい、自分の中でそういう蓄積は
あったのだと思います。それよりも学生時代は、がんがん働いて、自分自身、力を付けて社会のために何かできるようになりたいとは思っていました。


■ 実際に現地に足を運んでこういう現実を目の当たりにして、また、寄付や援助という活動を通して、普通の会社勤めの生活では得られない、いろいろなことを経験されていると思いますが、この活動は久保田さん自身の人生にどういう影響を与えたと思いますか? 


仕事でないと行かないところへ行ってみて、行ってみると想像していたのとは・・・・当然ですが・・・違うんですね。打ちのめされた表情の人達を見て、こんなに生きていくことがたいへんな場所ってあるんだと、そしてこれが遠い外国の話ではなく、これだけグローバル化が進んでいる同じ世界に生きている者として、これは絶対に解決しなくてはならないという思いを新たにしました。

 

ただ、一方で、こんなにたいへんなのになぜこんなに元気なんだろうと思う人達もいっぱいいて、むしろそういう人たちの方が多いのに驚きました。とくに女性、「おばさん」は日本人と変わらない部分もあって、「おばさん」は世界中どこへ行っても「おばさん」なんだなと、全然違う人種の人達なのに、「なんだ同じなんだ」という連帯感すら感じてしまいました。遠い国の別の人たちのことではなく、私たちと同じで、すごく親近感が湧きました。

 

これまでは、資料とかでたいへんな状況を知ると私自身が諦めてしまう部分がどこかにあったのですが、実際に現場に行くと希望が見えるというか、なんとかなる、何とかしていかなくてはいけないんだ、という気になりました。どんな環境の人でも立ち上がっていくことができるんだ、と思えるようになったということでしょうか。今、「レジリエンス」という言葉が災害現場などで良く使われるのですが、これは打ちのめされても負けない、とか立ち上がるとか回復力とかという意味なんですが、今の世界の重要なキーワードのひとつだと思っています。


■ 活動をしていて障害になることはどんなことでしょうか?


そうですね。例えば「女性性器切除」の排しなど、活動のテーマによってはすぐに受け入れてもらえない村もありました。彼らのアイデンティティを否定されたと思ってしまう。そのまま伝えても理解されないときは、身近な問題として、例えば「人権」ではなく「健康問題」として話していく、子どもの死亡率が減って女性と子どもが健康になりますよというエビデンスを見せていくなど、長い目でじっくりやっていくしかないと思っています。


■ 久保田さん自身、今後、どんな生き方をしていきたいのか、今後の展望を教えてください。


今後も女の子たちをサポートしていくことはして行きたいと思っていますが、目指すは「闘うおばあちゃん」です。歳をとっても、世の中の理不尽とは向き合って行きたいと思っています。


■ 最後にNever too Late! に一言お願いします。


連携って大きいと思います。誰かが言った言葉ですが、「何かを変えていくにはアイディアの力が必要で、
そのアイディアを形にするには仲間が必要だ」と。
小さな輪を連ねて連携して行けたら何かを変えることができると思います。


■ ありがとうございました。